Re:現場にいないマネージャはメンバーをどうやって評価すべきか

先日のエントリに関して、メンバーから貴重なコメントをもらっていろいろと考えた。せっかくなので、内容をやや一般化して公開させてもらおう。
前回の、「ブログ等を通じた情報発信を通じて評価しよう」という趣旨に対して、以下の反応があった。

  • できれば現場は現場だけを考えていたい。つまり、日常的に自分から情報を発するのことはさけたい。極端な話、火をふいているプロジェクトメンバーにはそれはできない。
  • 内気で、自分をアピールできない人もいるはず。

はい。ぼくもかつてそうだったし、今でも忙しいときはブログを書けなくなる。情報発信には元気が必要。そしてそれを他人が強制することはできない。情報発信による評価は、あくまで評価の一部であって、評価制度ではない。あえて言えば、「評価して欲しいという欲求」に繋がるものだ。
「制度としての評価」と、「欲求としての評価」は当然ながら違う。制度としての評価には公平性と経済性が伴う。つまり、評価を行うマネージャには、全メンバーを公正に評価する責任があるが、しかし、全ての時間を評価に割り割くことはできないということだ。となると、クローズアップされるのは現場リーダーの役割だろう。現場リーダーは現場にいて、現場のことを一番考えている。評価制度に現場リーダーを組み込むのは理にかなっていると思う。制度としての評価には、積極的に現場リーダーを関与させるべきだ。
と、ここまでは、制度としての評価の話。公正な評価は評価する側の責任であり義務である。真摯に取り組む。
が、実は本当に言いたいことがもう少しある。今から書こう。
「欲求としての評価」を満たすのは結構奥深い問題だと感じている。前回のエントリでぼくは次のように述べた。

チーム・組織として目指すべきポイントを常に語り、お互いにチェックする。それで相容れなければお別れもあるだろうけど、それはそれで健全なことだと思う。ポイントは、常に語り、お互いにチェックする、ということ。

さらに、

つまり、「君が現場で頑張っていることは、君の発言を聞いてれば分かるよ」ということ。

なんてことも言ってるけど、まだぼくもその域まで達してはいない。まさに、言うは易し行うは難し。
ただ、なんとなく分かっていることがあって、それは、欲求を評価する側にも「こんな風に育って欲しいという欲求」が必要で、これらの欲求の交流とぶつかり合いが、制度を超えた深い評価に結びつく。ということ。
そして、長い目でみればそれは、実際にその人の評価ポイントを変えていく。
例えば、リーダーを志望するメンバーであれば、その想いと行動を評価して欲しいという欲求はあるだろう。より高い技術を習得するために行動するメンバーであれば、それを評価し、認めて欲しいという欲求があるだろう。これらの欲求が、「こんな人になって欲しい」というマネージャの欲求とかみあえば、それは当然、次の仕事や役割に影響を与えるだろう。新しいステージが開ける可能性も高まり、数字としての評価ポイントも上がると期待しても良いだろう。
長くなってきたのでまとめよう。制度としての評価だけを求めるのであれば、それは評価する側の問題であり、公正に・適切に行えるよう、努力しなくてはいけない。そして、評価されるほうもそれに協力しよう。
しかしながら、評価される側がより深い評価を求めるのであれば、その欲求をアピールしよう。そして、評価する側も、メンバーに対する欲求をもっとオープンにしよう。