プロジェクトにおける安易でない精神論について

記事を読んで、なんとなく「おじさん受け」するだろうなぁ。という感想を持った。確かにスポーツ競技はメンタル面が重要なので、それを鍛えようという気持ちも理解できなくもないし、実際にそれで効果を上げている例もあるだろう。

http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20061222&a=20061222-00000034-nks-spo

「超ストレス特訓」の計画は練り上がっている。6月下旬に予定している約1週間の八代合宿後、疲労の抜けていない状況の代表選手に富士山登山を課す。「世界一を目指すには、まずは日本一を克服する」と同監督。続いてレスリング代表が恒例とする自衛隊1日体験入隊も実施。高所訓練などを行い、極限に追い込むことで精神面を徹底的に鍛え直す。

ただ、これらの特訓を受ける選手たちはその意図というか、目的をちゃんと理解できるんだろうか?
強引に話をプロジェクトに持っていくと、ストレスによって成長する、ということは確かにある。ぼく自身もいくつものストレスによって成長できたと感謝している。しかし、この感謝はあくまで結果であり、今時点での感想なのだ。最初から「ストレスによって鍛えてやろう」、というリーダーなり管理者の意図はメンバーには伝わらないことが多い。
人を育てたいなら、最初にゴールを明確にしなくてはならない。これは当たり前の話だけど、この記事にあるように往々にして安易な精神論に置き換わってしまう。
メンバーがプロジェクトで育つ過程では当然ストレスを受けるだろう。ただ、ゴールを明確にし、本人の目標とマッチさせた上での試練ならば、それは受け入れられると思う。リーダーがメンバーを叱咤したり、無理難題を吹っかけてストレスを与えてよいのは、この「本人と設定したゴール」に対するアクションの不十分さや、心構えに対してだろう。
ぼくは、これは安易でない精神論だと思う。メンバーのこころの深いところに蓄積され、いつか彼らが自身の成長の軌跡を振り返る時に、特別なエピソードとして再生されると信じている。