「弱い」リーダーシップ

うちの会社では、毎年新年になるとその1年の目標を漢字一文字で表現するしきたりがある。今年ぼくが選んだのは、
「弱」
そう、「よわい」だ。
ぼくはどちらかというと強いリーダーシップを発揮したがる。だからこそ、現場リーダーとしてやって来れたわけだし、本も出版できた。それは今でもそう思っている。
しかし、強いリーダーシップ、つまりリーダーが先頭に立ち、はっきりとしたビジョンを持って、ゆるぎなくプロジェクト遂行することを理想とするだけでは物足りなくなってきた。うまく根拠を説明できないのだが、人が育ちにくいと感じるのだ。
これはメンバーの資質や性格にもよるかもしれないが、プロジェクト活動にある程度の不確実性が入っていないと、人間は成長しようと思わないらしい。人は壁があるから超えたくなる。そこに山があるから登りたくなる。
もちろん、不確実性はリスクそのものであり、通常のマネジメントでは管理対象となる。だから、確実に管理が必要な超ヤバリスクや大計画は、強いリーダーシップの元でさばき、それ以外は弱いリーダーシップの元で、メンバーに自発的に対処させたい。
これはリスク管理の手を抜くのではなく、マネジメントに「平時」と「戦争時」の2ライン持たせるようなもので、もちろん弱いリーダーシップは「平時」のリーダーシップだ。
平時の政策は富国強兵。より強く自律した個人を育てるのが大きな目標となる。なぜなら、自律した個人のみが戦争時に力を発揮できるからだ。だから、平時のマネジメント=弱いリーダーシップの元では、人を育てるという目的の優先度を高くして、リスク管理の優先度を意識的に下げる。
具体的には、プロジェクト活動に対する口出しの量と質のメリハリをつけることになり、例えば次のような行動となる。

  • 仕様、設計の決定権を委ねる。
  • 「これが良い」ではなく、「良いアイディアはない?」
  • 早く帰ってしまう。しばらく現場から離れる。
  • 積極指示ではなく、根回し。
  • 雑用をこなす。

ポイントがあって、例えばメンバーと仕様や設計に関するアイディアに関する議論を行うときは、リーダーは模範解答を持つ必要はないということだ。模範解答に近づくよう誘導するのは「演出」の一つとして大有りだが、ここはあえて弱弱しくメンバーに頼ってみよう。
※書いているうちに気がついたのだが、これはプロジェクトとラインをもつ、マトリクス的な組織形態の特徴と狙いに似ているかもしれない。強い=プロジェクトでのリーダーシップ、弱い=ラインでのリーダーシップ。