人の振り見て我が振りなおせ

あけましておめでとうございます!
そろそろ正月休みも終わり、ということで息子の冬休みの宿題を見ながら、このエントリを書いています・・・。いやぁ、人を教えるというのは、自分が教わるのと同じですね。2008年は教訓話からスタートです。

凡ミスはもったいない

去年のWEB+DBイベントで、「バグには生産的なものと、非生産的なものがある」という話をしましたが、宿題における凡ミスも相当に非生産的です。
うちの子も凡ミスを繰り返すので、(教育上よろしくないのかも、と思いつつ)親としてはつい声を荒げてしまいます。本当に解けなかった問題ならともかく、式はあってるのに計算ミスで答えが違うとか。これはすごく「もったいない」。
これって仕事でも同じですよね。簡単なミスだからといって見過ごしてると、いつか大きな問題を引き起こす。すぐに修正できるバグだからといっても、お客さまにとっては不満の原因になる。こういう「もったいないミス」をいかに減らすのか、プロとしてコツコツと追求していきたいですね。あとは同じミスを繰り返さないこと。どうせなら、新しく難しい問題にチャレンジした時に間違いましょう。

自分と子供は同じではない

子供を教えていて気がつくのは、「親である自分ができたのだから、子供も同じようにできるはずだ」という思い込みが捨てられないことです。遺伝と環境どちらの要因にしても、自分と子供が似た能力や嗜好を持っていなくても不思議ではありません。
開発者としての能力や好みも同じことです。リーダーになって感じる「俺ならすぐに片付けられるのに!」という強いジレンマをいかに右から左に受け流すのか。これがリーダー最初の関門となります。「伝家の宝刀」を抜いてしまうのは、子供の宿題を親がやってしまうことに似ています。「冬休みの友」は子供の力だけでやり遂げないと意味がありません。

「習ってない」が通じるのは子供だけ

子供たちは、できない問題は「習っていない」と片付けてしまいます。親としても「ならっていないなら仕方ない」と答えることが多く、「まだ習っていない」は子供にとって免罪符になるわけです。
大人になるとそうはいきません。簡単に「知りません」と片付けることはできないのです。問題解決こそが仕事です。解き方を知らない問題は、解き方を習うことからスタートすることになります。
新しいプロジェクトが始まる。次はRubyという言語を使うらしい。でも、Rubyは習っていないから教えてもらわなくちゃ仕事ができない。こんな子供じみた考えではプロとして喰っていけない。親や学校が子供たちに教えるべきは、「問題解決こそが生きる術である」と教えてあげることなんでしょうね。