勝負の厳しさ

ボクシング世界戦、内藤 VS 清水を観戦しました。僕は福井出身なのでもちろん清水選手を応援します。5年ほど前、清水選手がお兄さんとマスボクシング(練習)をしているのを見たことがあります。本当に上手くて、パンチが速い。体の設計が違うよなぁ、とか思いました。

今日の試合は本当に惜しかったです。8R終了時点でポイントではチャンピオンを上回り、僕も周りの福井から来た応援団も、勝てると思っていたはずです。
集中して観戦しているうち、どんどん清水選手に感情移入してくる自分がいました。8R終了時点でポイント優勢。体も動くしここは逃げきろうなどと思ってはいけない。むしろ逆に攻め抜くべきだ。
厳しい練習を思い出す。応援してくれる人たちを思い出す。そして、チャンピオンになった自分を思い描く。でも、目の前のチャンピオンをたたくことだけに集中しなくてはいけない。
・・などと、勝手に想像するのです。
チャンピオンのフックでダウンした瞬間は僕の場所からは何が起きたかわかりませんでした。そこで僕の感情移入も終わり、しばし呆然とした時間をすごすことになります。
近くにいたおじさんが「交通事故だ」と後から言ってましたが、それがおきるのが勝負の世界なのでしょう。
KOシーンに興奮する観衆の中、一緒に応援した友人がほんの少し涙ぐんでいました。勝負の世界は結果です。どれだけ厳しい練習をしてきても、どれだけ有利に試合を運んでいても、結果は結果として評価されてしまう厳しさに対して感情移入したのだと僕は思っています。
清水選手の、とても澄んだ目が印象的です。僕が言うのも偉そうですが、いつか世界チャンピオンになるでしょう。そしてその時、「あの時の結果が自分をより強く育ててくれた」と思えるはずです。僕は今、そのように感情移入しています。