面談と35歳定年説

私も現在、面談期間中です。

面談の良いところは、個人個人の問題について深く考える機会があることだ。

数年前までは、自分の問題だけ考えて生きていました。しかし面談をする立場になった今、メンバー達の問題をいっしょに考えるのが私の役割です。

面談の悪いところは、この期間中話を続けていると、どんどん視点が会社の社内に向いていってしまうことだ。あれこれ話をすれば、社内の課題なども見えてくるし、見えてきたものに対して対処をしなくてはいけないと思う。

こちらの話にも共感します。面談をする管理職は内向き(社内の視点)の課題を、外向き(お客さま視点)の課題に変換してやらなくてはいけませんが、私はまだそれが十分できていません。母性的な組織運営に偏りすぎなのかもしれません。(一年前はひとごとのように書いていたのですが)

逆に、組織に分かりやすく納得できる経営ビジョンがある時は「俺について来い」状態となり、父性的・狩猟的な「狩の獲物は皆で山分け」戦略が取れる。

どちらが良い悪いではなくて、中小SI企業は母性的な性格になりやすくなるんじゃないか、と考えていて、だとすればそのような組織で働く人間の行動も以下のようになると思われる。

1. 父親になろうとする。つまり、自分でビジョンを描き出し、組織から次第に距離を置きたがる。

2. 子供のままでいようとする。つまり、モラトリアム。

ただし、母親の後を継ごうとする人は少ないだろう。母親とは組織(実際にはその組織を構成する管理職群)そのものであり、すでにたくさん存在するからだ。

今回の面談で気がついた自分の一番の課題は、「自分は母親でなくてはいけない」という思い込みが、自分に迷いというか、中途半端さをもたらしているところにあります。
面談を振り返ってみると、なんだかんだ私がメンバーに期待するのは「父親的」な行動と自立です。つまり、成長し自分のキャラを確立することで自己実現をし、その力で会社に貢献して欲しいと思う。
そんな自分はやっぱり「母親的」です。自分が父親になろうとする意欲とインセンティブが弱まっている。組織に貢献することで満たされる欲求と得られる対価が、自分の成長欲求を上回ったと感じられるポイントがある。
これが「35歳定年説」なのかもしれません。そして、この境地を自分の成長の飽和点だと感じ、さらに悦に入ったとき、エンジニアとしては終わってしまうのでしょう。
気をつけることにします。